朝、目が覚めぼんやりと旅の想いをめぐらしていた時、
ああ、あれはお墓を表したものだったのだ・・・、ストンと腑に落ちたのです。
建物は十字架のように四方に展示室が伸び、
十字の交わる広い空間の床がこんもりと盛り上がっていたのです。
ユニバーサルデザインがあたりまえの公共建築で、
なぜ床がこんもり盛りあがっているのか、不思議でならなかったのです。
主人の在籍するロータリークラブの45周年記念の行事、親睦旅行に行ってきました。
群馬、長野、1泊2日のバス旅行。
長野県上田市にある、無言館。
戦没画学生慰霊美術館。
駐車場から両脇に緑が溢れる山道を少し行くと、
コンクリート打ち放しの窓が極端に少ない教会のような建物が見えてきます。
入り口のシングルの木製のドアを開けると、
暗く、薄明かりのような照明の中、
展示物はピンスポットのライトに照らし出されています。
画家別に展示され、一人一人の作品はとても少なく、
出身地、出身美術学校、戦死した場所、
享年27歳、享年21歳、・・・・必ず戦死した年齢が記されていました。
最年長で30代になったばかりでした。
館内の中央ショーケースの中には遺品が並んでいました。
手帳、戦地から家族にあてたハガキ、絵筆、パレット・・・
絵を描きたいと強烈な想いを残しながら、
フィリピン、ビルマ、太平洋上で露と消えていった若者たち、
生きて還れば、現代の巨匠となっていたのかもしれません。
館内を見渡せば、お年寄りの方ばかり、
じっと遺品の手紙など見入っています。
戦地から出されたハガキには、子供たちのために
戦闘機の絵が描かれ、小さな字でハガキいっぱい、
文字が書き連ねてあります。
20分ほど鑑賞していたのですが、とにかく目が疲れる。
暗い明るい、暗い明るいの繰り返しに
50代の私の眼でも、光の明暗調整がSOSを出し始めています。
まんべんなく光の調整がされ、ベストの状態で展示されている
一般の美術館とはまったく異なる手法で、
設計士は無念さや戦争の悲惨さを表現したかったのかもしれません。
あの時代に逝ってしまった芸術家たちだからこそ、
明るい、やすらぎをもたらす光が満ち溢れるような、
幸福な展示法があっても良かったのではないかと思うのです。
車いすの人は必ずこんもり盛り上がった床に
困惑するはずです。
ハガキや手紙を大きな字で読みやすいように
印刷物を添えるなど、老人に負担のない展示ができるのでは・・・
暗いおどろおどろした雰囲気の中、自画像が浮き上がっているのは、
もしかしたら幼稚園児ぐらいの幼い子にとって、
不気味な印象だけが強く残るのではないかと思います。
なんだか、なまいきなことを書き連ねているかもしれません。
建築は表現、芸術として存在すべきものと、とらえている方々もいるはずです。
遠い異国の地で望まぬまま死んでいった芸術家たちに、
設計は、照明は、換気は・・・・
設計の依頼を受けてみたいと、かなわぬ望みを持ちました。